卒業生の声

1948年の創立以来、延べ2万5千人以上が長沼スクールで学んできました。
多くの卒業生が、日本で、そして全世界で活躍しています。
ツルネン  マルテイ (Tsurunen Marutei)
ツルネン  マルテイ (Tsurunen Marutei)

1969年卒業
出身国 フィンランド
参議院議員 (民主党)

日本語を学べば、日本社会への新しい扉が開く
私が東京日本語学校で勉強したのは、もう40年前のことです。先生たちが日本語を使って日本語を教えていたことに戸惑いを感じましたが、そのおかげで、日本語の基礎や日常会話を早く覚えることができたと思います。
学校から街に出ると、そこはもう日本人ばかりの世界でした。東京には外国人がまだ少なく、多くの日本人は外国人に不慣れでした。買い物で店に入ると、店員がすばやく店の奥に隠れてしまうなんてことも、何度もありました。私が日本語で話しかけようとしても、「ノーインギリス」と言われ、全く話を聞いてくれないこともありました。
2年間の長沼日本語学校時代の勉強が、日本社会への扉を開くことにつながりました。先生からは、日本語を学ぶだけでなく、日本語を通じて日本社会の様々なマナーや礼儀作法を学ぶことができました。当時、私が実践していた自宅での学習法の一つは、夜遅くまでテレビを見るということでしたが、聞き取りの練習として非常に役立ちました。そして、日本社会が抱える問題や、日本人の生活習慣などを知ることもできました。
私はよく、「日本語を覚えるまでどのくらいの時間がかかりましたか」と聞かれますが、答えはいつも同じです。「まだ習得しきれていません。」
しかし、日本語の基礎があれば、日本社会に飛び込んでいくことができます。日々の仕事や生活の中で、日本社会についての理解を深めていけますし、毎日が新しい発見なのです。ですから、国会も、いわば私にとっては日本を知るための学校なのです。
皆さんも「長沼スクール」でまず日本語の基礎を身につけてください。そして、習ったことを、すぐに街中の日本人に向かって使ってみてください。間違いを恐れてはいけません。日本社会そのものが、皆さんにとっての日本語教室であり、日本社会を理解するための学校なのです。 新「長沼スクール」の皆さんに、国会からエールを送ります。


マイケル・J・コーバー (Michael  J. Korver)
マイケル・J・コーバー (Michael J. Korver)

1975年卒業
出身国 アメリカ合衆国
一橋大学大学院 国際企業戦略研究科教授

35年前、私は長沼スクールの学生でした。その後、私は大学院を出て、弁護士の資格をとり、種々の国際的な業務で日本で勤務し、日本の企業とも仕事をしました。日本語を話し、読み、書くことは私のキャリアの一部分となっています。同時に、私は家族とともに長年日本に住んでいますので、日本語は私の日常生活・社会生活の一部でもあります。長沼スクールで受けた厳格な日本語教育はその後の私の語学能力の礎となっています。私は今でもすばらしいカリキュラムと献身的な先生方に感謝しています。
長沼スクールの、伝統に根ざした熟練した指導は、日本における外国人コミュニティーの日本語教育に長年貢献してきました。私の父親もはるか昔に長沼スクールの学生だったのです。この伝統で培われた長沼スクールの教育は日本語学校の中でも群を抜いて素晴らしいものです。私の父がそうであったように、現在私も学校の理事の一人として長い間長沼スクールの多くの変革を見てきました。場所こそ私が在学していたときと同じ所にありますが、昔にはなかった施設や改良を重ねた教育内容を享受している今の学生たちを見て、実に羨ましい限りです。日本語と日本の文化を学ぶことに関心をもっている人々に対して、まずは長沼スクールの門をたたくことをお勧めいたします。


ダニエル ハーン (Daniel Hahn)
ダニエル ハーン (Daniel Hahn)

2006年卒業
出身国 ドイツ
キヤノンヨーロッパ、環境部門勤務

長沼スクールで勉強したのはよかったと思います。毎日は忙しかったですが、日本語での能力はすぐあがって来ました。日本語の勉強だけではなくて、いろんな遠足で日本の文化も経験できました。習った日本語を使って、日本で楽しい生活を過ごすことができました。ヨーロッパに帰って来てから、キヤノンヨーロッパに入社しました。応募する時、日本語能力は強いポイントだったと思います。


サイモン・ラベンダー (Simon Lavender )
サイモン・ラベンダー (Simon Lavender )

2007年卒業
出身国 英国
駐日英国大使館副領事

長沼スクールを振り返って

正直申し上げて、最初に長沼に来た時は多少の不安がありました。いわゆる「学生」の身分から10年ほど離れていたので、授業に適応できるのだろうかとか、仕事に役立つことを教えてくれるのだろうか、教室の小さなデスクに自分がうまく収まるのだろうかなどと思いました。しかしどれも杞憂に過ぎないことがわかってきました。

少し時間がかかったものの、ほとんど日本語しか使わない授業、それから多国籍の学生たちの中で日本語が共通語であるという環境も含めて、だんだん慣れてきました。日本語学習について言えば、確かに最初はつらく、特に文法的な事柄を理解するのに手間取りました。しかし、日本語が知らず知らずのうちに頭に入っていったようです。でなければ、アメリカ人やスウェーデン人の同級生と道すがら日本語で話すなんてどうして起こりえましょうか。英語ならもっと簡単に意思疎通できたにもかかわらずです。

とにかく初めは結構負担の多い学習のように感じられましたが、そのうち嘘のようにうまく事が運ぶようになったのです。日本語を使うことに自信を感じるようになったのは、自分の言語能力というよりも、長沼のシステムのおかげではないかと思っています。そして、私は自分の受けなければならない試験に合格して最終的に出した結論は、長沼での学習は確かに効果的だったということです。私は、スピーキングが重視されるその試験(外交官語学試験)に自信をもって臨むことができました。自分が高校で習ったどの外国語よりも、日本語が身についたと言えそうです。

日本語の勉強で頭が満杯になったときなどに、学校を一歩踏み出せば、渋谷など気晴らしのできる東京の街が目の前にあります。そこは学校で習った日本語を練習する機会に満ちあふれています。


ライ バン クン (Lai Van Cuong)
ライ バン クン (Lai Van Cuong)

2008年卒業
出身国 ベトナム
東京工業大学 学生

大学に入ってからもう1年間経って大学の生活も慣れて来ましたが、日本語学校のときの生活はまだ私の心に残ったままで忘れられません。私にとって人生の特別な一段階です。きれいな思い出がたくさんあります。日本に来た時は、両親も友達もいなくて日本での生活がどうなるかと心配しました。でも、東京日本語学校に行ったら、もうその心配がなくなりました。優しく暖かい心で色々なことを助けてくださる先生達がいたからです。「本当に二番目のお母さんだ」と思いました。学校は、日本語が勉強できるだけではなく、楽しい時間を過ごすところです。アルバイトで疲れて家に帰る一人暮らしのさびしい生活でしたが、学校には友達も先生もいるので、楽しく勉強したり楽しく話したりしました。そして、いつも先生から応援の声をかけてもらいました。これこそ私の精神の頑張る力でした。先生の貴重な励ましがなかったら大変なことを乗り越えることができなかったと思います。本当に心から感謝しています。 学校では精神的な面で安心して生活するだけではなく、どこよりも日本語が上手に学べると思います。よい課程があるほかに、長い経験がある上手な先生ばかりで、学生に一つ一つ親切に教えてくれるからです。皆さんは日本語を学んでいるうちに、英語などの高校生の知識を忘れて、大学の受験ができないのではないかと心配しているでしょう。しかし、東京日本語学校で勉強したらそんなことは心配しなくていいです。日本語以外にも、英語や数学や物理や化学などの高校生の知識もちゃんと教えてもらえます。また、日本留学試験や日本語能力試験や入学試験などの願書の書き方も、担当の先生が教えて、チェックしてくれます。皆さんは大学の受験の情報が分からないとか、どこの大学に行ったらいいか、大学で何を勉強したらいいかなどと悩んでいるでしょう。先生に相談すれば、すごく助けてもらえます。そして、学期ごとに一、二回ぐらい見学があって、留学生は日本の文化や技術に接することもできます。東京日本語学校は勉強するのにどこの学校よりもいい環境だと思います。わたしが日本語が上手になっていい大学に入れたのは、自分の頑張りが少しで、学校と先生からのおかげが大きいと思います。東京日本語学校のことは決して忘れられません。


ライ バン クン (Lai Van Cuong)
カン エツ (韓 悦  Han Yue)

2008年卒業
出身国 中国
東京大学 学生

学生生活を振り返って

初めて日本語学校にきたときのこと、今でも覚えています。最初の授業は自己紹介と簡単な作文でした。そのとき、「なぜ日本に留学しようと思いました?」と聞かれました。私は日本語がまだ慣れていないせいか、うまく自分の気持ちを伝えませんでした。どきどきの初授業を終え、帰ろうとしたところ、先生が私を呼び止めました。「ちょっと、いいですか」と微笑みながら、話掛けてくれました。私が国立大学を志望し、それに不安を抱いていたのを聞いて、「応援します」と言ってくれました。連日の不安や未来への迷いを語っていた私に、先生が客観的に私の実力と国立大のレベルを比べながら、アドバイスをしてくれました。無知より人を怖がせるものがない。無根拠に「大丈夫」と言うより、先生の分析のほうが私に自信を持たせてくれました。いまでも、不安を感じるときも、迷いに困らせられるときも、先生のあの時のやり方で自分を勇気づけています。
もちろん、学校の生活は勉強ばかりではありません。クラスの仲間たちと一緒に過ごした日々はとっても楽しいものです。毎日、皆のさまざまな話で教室が盛り上がっていました。お喋りしながら、皆の気持ちを分かち合い、皆の目に映る世界を少しだけど、うかがうことが出来ました。一緒に食事をしたり、一緒にカラオケに行ったり、見学行ったりする時間は色褪せることのない思い出になっていました。学内の日本語スピーチ大会のときクラスのみんなで仲間を応援してきて、準優勝を収めた仲間に皆で祝杯を上げました。皆、仲良しでありながら、ライバルでもあります。競争し合い、落ち込んでは励まされ、更なる進歩を収めてきました。日本語能力テスト一級を合格したとき、その喜びを一緒に味わってくれる仲間がいて、本当に良かったと思いました。同じ未来への憧れを持っている仲間がいてくれたからこそ、私が前へ進むことができたと今でも凄くそう思っています。
一年の付き合いは短いものですが、先生と仲間たちと一緒に過ごした日々は忘れられない貴重なものになっていました。文法を間違えたときの悔しさも、会話が上手になったときの喜びも、成績発表を待つときの窒息するほどの緊張も、合格した後のすっきりした快感も、全部私の宝物です。そしていま、こうしてずっと支えてくれた先生方や仲間たちに「ありがとう」を言うときも、同時に「大丈夫だよ、元気にやっていますよ」と言えるようになって、本当に良かったとおもいます。

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